2008年1月22日火曜日

練習すればうまくなるという幻想

人は、自己満足できれば幸せに生きられる。
では、どうすれば自己満足できるかといえば、願望を実現すればよいのである。
そして、どのように願望を実現すればよいかといえば、それを実現するための手段を実行すればよいのである。その手段を実行したときに、願望は目標へと変わり、実現することが可能となる。

うまくなりたい。でも、たくさん練習してもうまくならない。という人がいる。

そこで考えてほしいのは、その練習はうまくなるための手段なのか?自分のしたい練習は、手段ではなく、願望ではないのか?ということである。

すべての練習が上達するための手段であるというのは幻想である。
練習は大別すると、正しい動きを理解する手段としての練習と、動きを身につけるための手段としての練習がある。
それを認識せずに練習の意味内容を勘違いして、誤った動きのまま反復練習を行えば、誤った動きが身に付くだけである。

つまり、あなたがしたいと思っている練習が、正しい動きを理解する手段としての練習でないならば、それは、うまくなるための手段ではなく「練習をしたい」という願望にすぎない。よって、「練習したい」という願望は、道場へ行って望む練習をするという手段により実現されるけれども、そこには「うまくなりたい」という願望を実現するための手段というものが存在しないから、余程のセンスでも兼ね備えていない限り、うまくならない、ということになる。
しかしながら、その練習がうまくなるための手段だと思っている人は、願望が実現しない理由が分からない。だから、練習している「のに」うまくならない、と思う。

そして、人は願望が実現しないと思ったときに挫折する。

挫折しないためには、何が自分の願望であり、それを実現するための手段は何であるのか、ということを明確にすることが必要である。